先日、入院中の祖父とオンラインで面会をしました。その中で感じたことを残したいと思い、ここに書きます。
私はおじいちゃんが大好きです。小学生になる頃まで一緒に住んでいて、私はおじいちゃんの周りによくくっついていました😊いつもニコニコしていて、なんでもできて、なんでも作れるスーパーおじいちゃんです。
実はおじいちゃん、耳が聞こえません。隠していたつもりはありませんが、話す機会が無かったように思います。おじいちゃんの耳が聞こえないことは私にとって当たり前で、聞こえていても聞こえていなくても、そのままでスーパーおじいちゃんなのです。
私は手話はできないし、幼少期は筆談もできなかったのですが意思疎通で困ったことがありませんでした。
それは、おじいちゃんが読話(口の動きを読み取って言葉を理解)して、言葉を口語で一生懸命繋いでくれていたからです…。
スーパーおじいちゃんはある日、急に倒れました。お正月に会った時にはメールも使いこなして、これからまだまだ楽しいことがあるって時に…。倒れた原因は脳梗塞で、一時は命も危ない状態になってしまいました。なんとかおじいちゃんの命は助かりましたが、半身麻痺と記憶・言語障害が残りました。
私が病院へ駆け付けると、いつもニコニコしていたおじいちゃんが、知らない人を見るように真顔で私を見ます。辛いのはおじいちゃんだと分かっていても、胸がギュッと締め付けられました。声を掛けても聞こえない。意識も朦朧としているおじいちゃんが、読話する余裕なんてない…
私はおじいちゃんが大好きなのに、こんなに長くおじいちゃんといたのに、おじいちゃんの言語に寄せることが無かったこれまでを悔やみました。いつだって合わせてもらって、それが当たり前になっていて…耳は聞こえなくても聞いていたおじいちゃんと、自分の言葉でしか伝えることをしてこなかった自分に気付きました。そして、こんな時に力になる言葉を何も伝えることができない自分の不甲斐なさを痛感しました。
しかし、おじいちゃんは命を繋ぎました。おじいちゃんとの時間がまだあることは幸いでした。毎週のように病院へ会いに行きましたが、その度におじいちゃんの姿を見てはメソメソして、おじいちゃんの為になってないな、おじいちゃんはこんなの嬉しくないよな…と思うことも…それでも私が会いたかったので行っていました。おじいちゃん、笑顔で行けなくてごめんね。
しばらく入院した後、容体も安定し、病院から施設へ入所することになりました。面会は父や兄弟も一緒に行くことが多く、父に通訳してもらいながらやりとりをしていましたが、言語障害の影響か、おじいちゃんからの手話は少なくなっていました。それでも、いつも最後には来てくれてありがとうと手話で伝えてくれていました。
冬の間は施設にインフルエンザなどの感染症を持ち込まないよう面会を控えるようになっていたのですが、コロナウイルスも流行り始め、完全に面会ができなくなってしまいました。
そんな中、おじいちゃんは肺炎にかかって病院へ入院することに…ここでもコロナ禍で面会ができません。(私自身も医療従事者になっていたこともあり、県外へ行くことが制限されていたので緊急事態宣言が解除されたとしても会いに行けませんでした。)
1年近く会えていなかったのですが、病院でオンライン面会が始まったとの情報が入りました。これを逃したら、会いに行けるのはいつになるのか分かりません。オンライン面会やる?と父に聞かれ、二つ返事で「やる!」と答えたのですが、一緒に不安が襲ってきました。
おじいちゃんは私のことを分からない、面会もできていないから顔も忘れているだろう…私は手話ができない、何を話せば良いのか…1人でおじいちゃんと面会するのが不安で、父にも一緒にオンラインで参加してもらおうと思ったのですが、病院は複数でのオンラインをしたことがないため難しいとの返事が来ました。
オンライン面会は月2回・5分まで、そこで私が登場しておじいちゃんは嬉しいのか?正直嬉しくないだろうな…と思いました。同時に私を知らない人を見るようにして見つめるおじいちゃんの顔を思い出し、面会で泣いてしまうかもしれないとも思いました。
悩みましたが、私がおじいちゃんに会いたい、顔を見たいと思ったので面会に向けて準備をすることにしました。
私ができる手話は〝ありがとう〟〝こんにちは〟などの挨拶や自分の名前をぼんやり覚えているくらい…
おじいちゃんに話したいことを紙に書いてその手話を調べて、ひたすら練習をする。おじいちゃんが手話で返してくれても分からないかもしれないから、もう一回やっての手話も一応覚えて、後で父に確認できるようにしよう。私の手話だと伝わらないかもしれないから、一緒に口を動かして読話してもらえるようにして、それからスケッチブックにも大きく字を書いて筆談もできるようにしておこう…
こうして準備している時にも、おじいちゃんが元気な時から、こうやって少しでも歩み寄っていれば、と思わずにいられませんでした。
いざ、オンライン面会が始まるとおじいちゃんは、やはり私のことを分からないといった様子でした。ここでまた胸がギュっとなりましたが、5分しかない時間、メソメソしている時間は無い!と「私は孫だよ」というところから自己紹介を始めて、体の調子を聞いたり父も会いたがっていたことやそちらは桜が咲いているかと聞いたりすると、うんうんと頷いてくれたり反応をしてくれました。途中で、この子は知らない・違うと手話していて(おじいちゃんは私のことを孫ではなく、娘だと思ったようです。けれど顔が違う、と。娘のことは覚えているのです。)おじいちゃんが面会を喜んでくれたとは言えない結果になりました。私は声は震えてしまいましたが(涙が出そうになると震えてしまいます…)なんとか笑顔で、オンラインを終えました。
面会が終わるとしばらく涙が止まりませんでした。ベッドに横になって弱っている姿や私のことが分からない寂しさ、様々な気持ちが混ざっていました。
でも、おじいちゃんの顔が見れて嬉しかったことは間違いありません。私のことは忘れていても、手話を見てもらって反応が返ってきて…とやりとりができたことも嬉しかったです。
孫と認識してもらうのが難しくても、👴お?なんとなく知っている顔だな~
と思ってもらえたら良いな。ということでこれからおじいちゃんが私を見て〝初めまして〟のような顔をしても、気にせずグイグイ面会をしようと決めたのでした。そして、嬉しい報告が入りました。肺炎が順調に治ってきて、今週か来週には退院できそうとのことでした☺おじいちゃん強い。さすがスーパーおじいちゃんです!オンラインも使いつつ、早く対面での面会もできる世の中になることを祈っています。それまで話したいことの手話を覚えて待っていようと思います。
おじいちゃんが倒れる前にもっと手話で話せば良かった。手話少し覚えたよって言ったら笑顔で「すごいね」って言ってくれたかな?なんて考えてしまったり、涙がこみあげてくることもあります。
でも、たらればを言っても過去は変えられません。後悔しないように会いたい人に会える内に会うこと。そして、今の自分にできること・やりたいことを考えて大事な日々を過ごしていきたいと思います。皆さまもどうか、家族や周りの人と大切な時間を大事に過ごしてください。
余談になりますが、
おじいちゃんが耳が聞こえなくなったのは大人になってからだと聞いています。高熱が出て、その後遺症で耳が聞こえなくなったそうで、それまで音が聞こえて話をしていたところから、耳が聞こえなくなり言葉が出なくなってしまい、私と同じくらいの年齢から手話を覚えたことになります。
なんでもできるおじいちゃんなのは、なんにでも挑戦するおじいちゃんだから。私も今からだって大丈夫。だよね、おじいちゃん?
私の大好きなおじいちゃんの話でした。